HANYU DISTILLERY
羽生蒸溜所
江戸時代初期の寛永2年(1625年)に埼玉県秩父市で酒造りを始めました。昭和16年(1941年)には創業の地、埼玉県秩父市から現在の羽生市に移転。
ウイスキー事業は、昭和21年(1946年)の製造免許取得から始まりました。当初は輸入したモルト原酒をブレンドした商品からスタートしましたが、やがて自製モルト造りに取り組むべく、昭和55年蒸溜所を建設。
創業地を名に冠した「ゴールデンホース秩父8年」をはじめ、ゴールデンホースは好評を博しました。ウイスキー市場の低迷にともない、羽生蒸溜所は2000年に操業を停止し、2004年にはウイスキー製造を休止。
「いつかは再びウイスキー造りを」との想いを秘めながら、雌伏の時期を過ごしてきました。その後、経営基盤を安定させるとともに、改めてウイスキー造りに挑戦することとなりました。
蒸溜所の再開にあたり、以前の羽生蒸溜所を【復活】させたいという強い思いで取り組んでまいりました。以前稼働していた時に従事していた社員が在籍していること。初代の蒸溜釜(ポットスチル)の手書きの図面が残っており、幸運にも以前と同じ製作会社に製造をお願いできたこと。様々な条件が揃ったことで、この羽生蒸溜所は再スタートを開始しました。
特にポットスチルは、その形状がウイスキーの味わいを決めるとも言われており、釜の形状、パイプの角度によって味が左右されます。
羽生蒸溜所のポットスチルは、部材の接合部を羽生市の名産、藍染を意識した藍色となっている点が特徴です。
これらの設計図を基に初代ポットスチルの形状に近づけていくため、銅板の成型から始まりました。
いよいよ、完成した蒸溜釜が2020年11月、運び込まれ、試運転等が行われました。
2021年2月、粉砕された麦芽がお湯と共に糖化槽に投入され、長い長いウイスキー造りの旅が始まりました。
2021年2月、関係者が見守る中、初溜釜での蒸溜が開始され、20年の歳月を経て、待ちに待った溜液が検度器から出始めました。
樽貯蔵も同じ敷地内で行うなど、20年前のゴールデンホースの味の再現にこれからも歩み続けます。